かって東方貿易に活躍した「アムステルダム号」は、1602年から1795年の間、実に48oo回の航海を行ったそうです。
この50メートル足らずの帆船には200人の水夫が乗り込んでいたそうですが、その炊事の賄いはこの小さなキッチンでなされたという説明です。ほとんど畳一枚ほどの、つまりは半坪の広さしかありません。
このことからも航海の困難さが思い知れます。東方貿易は「東インド会社」という国策により巨大な富をオランダにもたらしましたが、その貿易の実行は、つまり毎回の航海は投機であったはずです。
水夫たちにとってもそれは人生の投機であったことでしょう。
この「アムステルダム号」は実物大の模型ですが、それでも当時のオランダ人ひいては欧州人の東方への憧憬、野心と水夫たちそれぞれの欲望が染み付いているように感ぜられました。
「アムステルダム号」については以下もご参考に。
Eastindiaman Amsterdam
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